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岸和田だんじり祭りとは!?

『だんじり』とは!?

『だんじり』とは、もともとお祭りのときに曳く出車(だし)や屋台(やたい)のことで、この車にいろいろなものを飾って、中に人が乗り、囃子(はやし)をします。

だんじりの大きさは、高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンであり「総ケヤキ」で作られています。さらに、すべて釘を使わずに組み立てられています。

だんじりの型には、住吉型の「上(かみ)だんじり」に対し、岸和田型の「下(しも)だんじり」と大きく二つに分かれています。 江戸時代は「三つ屋根だんじり」や「四つ屋根だんじり」があり、城門をくぐるために、屋根を上下にずらせる「からくりだんじり」などもありました。
 その周囲の彫り物は、源平合戦、大坂夏の陣など戦記物語の名場面を彫り上げた力作で、人馬とも精巧かつ力強く、すばらしいものです。
 戦記・神話に題材をとったものでは、源義経、頼朝、豊太閤、徳川家康、織田信長、上杉謙信、武田信玄、そして大石内蔵助も登場。『城下町・岸和田』を実感できます。
 彫り物だけでなく、だんじりを飾る金綱、前旗、後旗、すべて金系・銀系で豪華絢爛です。
江戸時代の文化が、現在も引き継がれてきました。町によって違いますが、2本の綱の長さは、100m〜200m、ひき手は500人〜1000人です。

だんじり祭りの歴史

 約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。

 昔は、穀物がたくさん取れるよう祈願したお祭りでしたが、今は社会の構造も様子も変わってきました。

 1年に1度、収穫をともに願い、祝うといったことからはじまったの祭りは、時代が変わり、社会が変わる中にあってでも、人々の気持ちの中にある「地域」というものを結びつける精神は、ずっとつながってきています。
参考資料:岸和田市役所HPより
http://www.city.kishiwada.osaka.jp

より詳しい情報は岸和田市役所HPにあります。こちら
2007 下松町だんじり祭りネット